Interview-P.02

ブレークスルーとなった研究

先生にとってブレークスルーとなった研究は何ですか?

 33歳の時(1972年)に東京工業大学から東北大学電気通信研究所に移り、仙台にやってきました。そして、いよいよ40歳という節目を迎えるにあたり、生きてきた年月よりこれから死ぬ迄の年月が短くななる人生の折り返し点を迎えて、自分のやった半生の研究を振り返ってみました。
 自分が東京工業大学に行き科学技術に身を投じたのは、産業立国を実現し、日本を豊かにするためだったのだと思い出しましてね・・・ふと、自分の書いた論文が産業に全く役に立ってないことに愕然としました。
「私は紙くずを書くために生まれてきたわけじゃない。このままでは死ねない。」

  それで研究のスタイルを徹底的に変えよう、絶対に世の中に役に立つような研究内容に変えようと方針を変えたのが40歳の節目でした。40歳といえば、いろいろ考えることもできるし、心・技・体が充実し、かなりの能力が身についています。幸い大学におりますから、産業界の人達よりは圧倒的に学問、技術の分野に通暁していますよね。まず、自分の専門分野である半導体技術が、この先人類の歴史にどこまで役に立てるかを理論的に死に物狂いで考え、極限の理想の半導体集積回路とは何かを考えました。どんなことも自分の思ったとおりにできるという前提で考えますから、理論的に極限の理想の集積回路をまず設計し、その性能を計算して、その当時の半導体技術と比較したところ、当時の半導体技術というのは今から見るとおままごと以下。何十桁も性能が違いましたから、これはやるに値する分野だと思いました。

 理想のデバイスを論理的に設計できたので、その当時の技術と見比べると、どこにどれだけ差があるかが全部判るわけです。理想のデバイスを作る為にはどういう技術を作る必要があるかが、ブレークダウンして出てくるわけです。理想のデバイスを実現するために必要な技術をすべて具現化していこうと思ったわけです。しかし、それをやっていこうとした時に迷ったことは、まず膨大な仕事量でした。その当時の技術では役に立たず、すべて新技術で誰も気づいていない事だったので、自分一人でやらなければなりませんでした。 "自分がどこまでやれるか"という、自分の才能に対する問いですね。"止める"か"やる"かのどちらかです。中途半端では目的にたどり着けないので、すべてやり抜こうと決意しました。それから片平キャンパスにあった研究所内に250mのクリーン・ルームを作り上げていきました。

 あの当時の大学の半導体技術では、再現性が全くありませんでした。毎回同じにやったつもりでも毎回違う結果が出て、何が真実かがまったく分からず、学問にならないわけです。学問の世界では、当時の学説に照らして全く奇想天外な着想であっても、100回実験をやって100回とも同じ事が起こればその着想は正しいわけですから、完全に再現性のある実験技術が新しい学問・技術の創出には必須なわけです。
  完全な再現性を有する実験技術を作らなければ新しい学問なんてできないと考えまして、クリーンラボを作ったわけです。当時、大学の半導体技術は産業界からあざ笑われていまして、それが悔しくてたまりませんでした。しかし事実は事実ですから、自分でやってやろう!と思いまして、どういうクリーン・ルームを作るべきかを考え抜いたのです。 大学で創る新しい研究施設は、隅々まで学問に基づいた技術で創らなければならず、その後の産業界が見習うべきお手本でなければなりません。


先生は大学で指導者が誰もおられなかった半導体分野に挑戦されたわけですが、受験生の多くは、大学は先生方が懇切丁寧に教えてくれる場所と考えているのではないでしょうか?

 基本的には、大学は自分で勉強し、自ずから学んで自分の実力を磨く場所です。私の研究室では課題は私が与え、その課題をやり遂げるとどれだけの社会的波及効果があり、それが世界や社会や世の中でどれだけ役に立つかということを説明し、そのためにはこういう研究をしなければならないと説明します。「さあやれ!」と言ってもすぐには何もできませんから・・・。本人が面白いと思えるところまでは手取り足取り指導します。 本人が面白いと思うようになれば自分でどんどん考えて研究も進めるようになりますから、その後は、わからないことがあれば聞きに来なさいという方法をとっています。食いついてくる学生を育てないとだめだと思います。
明確な目的を与えることは非常に大きな意味があります。私の場合は、いつも学生に言っています。
「誰もやり遂げたことのない、この目的に至るにはこういう道があるよ、もっといい道を考えついたら、そちらもやりなさい。」と。

 これまで、誰も解決したことがない課題を与えた場合、ほとんどの研究者は「絶対にできません」と言います。その際は、目的に至る少なくとも一つの答えを準備しておいて、こうやれるじゃないかという道を用意します。そうなると、不可能と言った者は立場がないので、やってやろうという気持ちになるものです。それは、1つでもやれる方法を示されると不可能だと言えなくなるからです。ですから、幼稚でもいいから目的に到達できる答えを必ず1つ用意します。
 しかし、今まで「こうやれ」と言ってすぐに「はいやります」という答えをした研究者は少なかったですね。一見不可能に見えることに挑戦する、やれといわれたら「自分がやります」というチャレンジ・マインドに富んだ若者を多数つくりたいですね。


具体的には、研究をどのようにして進めてこられたのですか?

 未知の要因に左右されて結果が毎日変化するような半導体技術を、結果に影響を与えるすべてのパラメータを所定の値に制御してプロセスの結果を保証する学問に基づいた技術に変革するのですから、やり抜かなければならない開発課題はまさに膨大です。我々の仕事には必ずタイム・スケジュールが入ります。
100年後にできれば良いという話ではないので、ここまでを3年あるいは5年でやろうということになります。

 必ず最短時間で最大の仕事をするようにしています。必要なものは必ず開発し、目的実現に100の開発課題があれば、たとえ99出来ていても1つでも揃わないと仕事は完成しないわけです。99を完成させた者にとっては、これがビジネスになると思うから死に物狂いでやったわけですよ。1つできないために完成しないと待たされます。すると99やった者が「先生責任取れ」と怒るわけです。
  担当企業全てにいつまでにできると言っており、それで企業からお金を出してもらっているわけですから、これは怒りますよね。当然ですよね。だから私は怖い教授です。必ずやらせます。それには、どれだけやる気を出さすかを考えてやっています。

 仕事が進まない理由は簡単です。全部ができないからじゃないのです。全部ができるまでの間に1つ不得手なことがあると、そのまま仕事全体が止まるのです。不得手な開発が進むように手を貸してやれば、ほとんど止まらずに開発は進めることができます。他のことはすべてできても、ある1つの技術開発の能力が足りないと、そこでほとんどの人達は仕事が止まります。だから、しょっちゅう見てやらないとだめなのです。
停滞してないかを見つけ、止まってる人を見つけ、何に困っているか聞き出し、そこを動かしてやることです。

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