Interview-P.04

研究と教育

うした研究に取り組む中で、研究と教育の関係はどうあるべきと考えられますか?

 ある程度の一般教養までは教室に集めて講義するということで教えられると思います。それを超えるような相当レベルの高い専門教育はO.J.T(On the Job Training)以外にないと思っています。

 具体的なある課題に学生を挑ませて、その場で課題を乗り越えるよう、学生に何が大事でどういうふうに考えてやるかを教えこむことしか手がないと思います。実力を徹底的に磨かせるために、学生達にはなるべくたくさんの仕事をやらせたいですね。
  自分が教授になった時、学生達がその研究をやり抜いたら、少なくとも20年間は世界が黙って使えるような成果を挙げさせようと考えました。そして1つ自分に課したことは、「お金がないから研究できない」ということがないように、徹底的にお金が稼げる教授になることに徹したことです。学生達に、自分のした苦労をさせたくないと思っています。

 もう1つ大事なことは、教授にとって学部や大学院の学生、特に学部学生への講義はものすごく大切ですね。大学から独立した国の研究機関と大学でどうしてこんなにアクティビティが違うのか?大学と研究機関の違いは何か?と聞かれることがあります。研究機関の方がいろいろやれるじゃないかと思われると思いますが、大きな差は、国の研究機関の研究者は今やっていることに集中するために、思考が局所化・局在化して将来の方向を見失う危険性があります。
  一方、そこへいくと大学人は、学生に普遍的真理、原理・原則を毎週毎回教えていますから、真理にもとづいた技術は何かをいつも普遍的に広く考える事が身についているのです。ですから教授にとって学部・大学院の学生の講義が大変大切なのです。

 産業技術は、時代と共にどんどんレベルが上がって高度化します。同時に、非常に広い技術分野を包含した大規模システムになっていきます。結果としては、学問に基づいた本物の技術だけが勝ちます。偽りの技術は途中まではついてこられても、必ず振り落とされます。あるレベル以上はいきません。
我々が創り出せる技術は、理論限界ぎりぎりに設計される製品にも通用できる学問に基づいた技術の典型事例です。理論限界ぎりぎりに設計された製品を量産現場で100%の歩留まりで作らないとならないので、生産技術そのものも学問に基づいた技術でなければなりません。

就職後に技術が身につくという考えも産業界にあると思いますが?

 
それは産業界の傲慢です。経験と勘に基づく産業技術には通用しますが、産業技術が高度化した時代には通用しません。日本はだから90年代の停滞を招いたのです。
大学というのがどんなものか全然判っていない考えだと思います。1950年代前半のアメリカでの半導体研究者との議論の中で、彼等から強く言われた言葉ですが、「日本もよくなってきている。しかし、日本の産業技術を担っているのはみんな大学院修士卒業生じゃないか、アメリカはPh.D.中心だ。この差がじわじわと後になってボディブローのように効いてくるぞ」と言われました。それが産業技術が高度化し学問に基づいた技術が通用しなくなった90年代の日米の差だったのです。そういう意味でも、もはや大学院修士卒業生だけでは通用しません。私はドクターをどんどん出そうと思っています。そういうレベルに産業技術が来ています。

大学の役割がますます重要になってくるということですね?

 時代が進めば進むほど、産業界の技術レベルが高くなればなるほど、大学の役割が重くなるのです。学問に裏づけられた本物の産業技術創出。大学がその役割を担わなければ企業はもちません。学生を育てるためには、本当に手取り足取り教えなければだめです。産業界、企業だけに任せて強い産業ができた歴史をみたことがありません。

半導体の性能が何十桁も変わるような発想は大学でしかできませんね。

 大学では、ここまで行くのだという目標となる理想の極限を決めて、それに向かって全部の仕事が流れるように展開することができます。向かっている方向が決まっているから無駄がないのです。その途中段階でできた技術を産業界に渡しているので無駄がないのです。それに対し産業界では、短期的な思いつきでアトランダムに開発を行っている場合が多い。

「迷路ゲーム」で、スタート点から始めるとゴールまで時間がかかりますが、逆にゴールからスタート点にさかのぼれば割合簡単に迷路をくぐり抜けることができるようですが、それに近い発想ですね。

 誰も登ったことのない山を登る登山と同じで、産業界は麓から登ろうとします。麓の樹林帯から上を見ていたら頂上はまったく見えず、何年も麓をさまよい歩くことになります。我々は樹林のある麓から登るのではなく、まず論理的思考に基づいてヘリコプターで頂上に行き、頂上から麓を見下しながら、もっとも効率のよい頂上に登る登山道を探すのです。
  しかし、たとえ論理的思考で頂上が分かっても、頂上に到達するには最初は樹林帯を通り抜ける必要があり、周囲の見晴らしが全くきかない樹林帯を方向を間違えずに通り抜ける時がもっとも困難な時期です。つまり、先生たちが学生を樹林帯から見晴らしがきいて頂上の見える尾根まで連れて行き、そこからは自分で行けというのが大学です。ですから、学生はPh.D.コースまで行かせます。これからは産業界をリードしていける者じゃないと本当の役には立ちません。


spacerback/next/Top