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画期的な分析法の考案と、抗エイズ薬の開発に成果
――ご専門である生物有機化学とは、どういう学問でしょうか。
簡単に言えば、生命現象を有機化学的に解明することや、新しい生物活性化合物(薬)をつくる分野と言えます。生物はどういう構造の化合物を持っているか究明することが不可欠ですから、いろいろと分析を行います。天然にある化合物の構造を決めるということが、天然有機化学の重要な分野でもあります。
生物有機化学は、幅広いですが、研究対象を変えながら続けてきました。現在は、天然物が薬になるのではないかということで、とりわけ海洋天然物が注目されていますね。私の研究は面白いアイデアがあれば何でも試みるのですから、医学部や薬学部の研究とそう変わらなかったりするものです。
――2004年度日本分析化学会賞を受賞された「高感度不斉識別法」とは、どんな研究成果なのでしょうか。
一言で言えば、天然有機化合物の絶対配置を超微量で出来るようにしたのです。生理活性化合物は全て光学活性ですから、その絶対配置の決定が重要です。
DNAの構造を見てみますと、螺旋形の左巻きですが、それを鏡に映した右巻きのものが有ります。といっても、生命で機能しているのは左巻きであり、私たちは鏡の片側の世界だけで生きていると言えます。例えば、グルタミン酸は鏡に映したものと、こちら側とのものがありまして、こちら側の方のだけがおいしいのです。このように、有機化合物には右手と左手の関係のものがありますが、私たちは生物は片方しか使えないのです。
石油を原料にいろいろな有機化合物を作ると、右手の形のものと左手のものとの1対1の混ざり(混合物)しかできなかったのです。サリドマイド禍を起した睡眠薬も、この混ざりを使っていたわけで、アザラシのような腕のない奇形児が生まれてしまいました。右手形のものと左手形のものとを分けて、それぞれの生物活性を調べた所、右手形の方が奇形を生じることが分かりました。つまり、右手形と左手形では生物活性が違うのです。
今の医療では、右手形のものと左手形のものとを分けて純粋な片方だけを使用することになっています。そこで天然のものでも何でも、右手形か左手形かを決めなければなりません。この右手形と左手形があるということは、1848年にパスツールが発見しました。それから、混ざりをどうやって分けるか、右手形・左手形をどのように決めるか、研究が続けられてきました。しかし、今までの方法では絶対に決められないと考えられていた化合物がありました。私の研究は、それを決められるようにしたわけです。
右手のものと左手のものは、物理化学性質がまったく同じですので、性質が違う化合物に誘導化し超微量(10?15モル)で有機化合物の絶対配置を決定できる試薬を開発したのです。その試薬が、蛍光性不斉誘導体化試薬です。
――先生が創案された不斉識別法は、これまで決められなかった絶対配置を次々と解明し、国際的にも高い評価を集めさまざまな分野で使用されていますね。
今、アメリカで「スクリュー・ウォーム・フライ」禍が注目されています。ハエによって感染してしまう肺ガンが問題になっています。ハエが動物や人間に卵を産み、ウジになると体内に入ってしまい、肺ガンなどを引き起こしてしまうのです。その性フェロモンの絶対配置が決められなかったのですが、私の不斉識別法でやっと決めることが出来ました。
――先生は、薬の研究にも取り組んでおられますが、どのような着眼から薬品開発が導き出されるのですか。
天然物の構造を調べていくうちに、こういうものを作れば面白い生物活性があるのではないかという着眼が生まれ、それが研究の起点となります。
例えば、インフルエンザの薬の研究で言えば、ウィルスが感染するメカニズムがわかっていますから、どこを止めればウィルスを死滅させられるかが推測出来ます。そのための有機化合物を設計して合成します。そのアイデアが有効か否かが重要ですが有機化学と生物化学の基本に則って設計すると有効である場合が多いです。
私たちの細胞には糖鎖があり、血液型などを始めいろいろな識別に使われています。インフルエンザウィルスは、その中のシアール酸という複雑な糖を切って細胞の中に侵入するのですが、この切ることを疎外するわけです。そのようなアイデイアで現在優れた薬が開発されていますが、他にもあるのではないかと研究をしています。
――抗エイズ薬の開発に関する先生の研究は、今、非常に注目されていますが、これまでの薬と違う画期的なポイントはどんな点でしょうか。
今、実際に使われている抗エイズ薬は、すぐに耐性ができて効かなくなります。そのため、薬をどんどん変えて耐性が交叉しない薬を混ぜて使う、カクテル療法が行われています。しかし、このカクテル療法でも効かないエイズウイルスが出現しています。エイズウィルスは、患者さんの身体の中で変化していきますからね。この耐性が出ないようにするにはどうするかが課題なのです。その解決策として考えた私のアイデアは、かなり単純です。私のアイデアはすべて単純です(笑)。しかし実際、研究してみると、キーポイントをついていまして、有望なことが多いです。
――抗エイズ薬の原料として、ヌクレオシドを使っていますね。これはどういうもので、どう応用しているのですか。
ヌクレオシドは、私たちの遺伝子を作っているものです。これが繋がってDNAを作っています。エイズウィルスはRNAウィルスと言いましてRNAを遺伝子としています。細胞増殖のメカニズムはわかっていて、DNAからRNAが作られて、RNAから蛋白質が作られます。逆に、RNAからRNAは作られませんから、エイズウィルスは自分では増殖はできません。それで、人間に感染してRNAからDNAを作るわけで、逆転させる酵素を働かせています。つまりは、この酵素を働かせないようにすればいいのです。エイズウィルスのライフサイクルがわかっているのですから、それを止めるための薬がいろいろ開発されています。ヌクレオシド薬もその一つです。
私たちの体内のDNAは、水酸基(OH)で繋がっています。エイズ薬は、この水酸基を無くしたものなのです。エイズウィルスが間違えてこれを取り込むと次に繋がっていかなくなります。それで、DNAが作れなくなります。もちろん、この薬には毒性があります。そのため、副作用の少ないものを使って薬を開発しています。
ところが、エイズウィルスはその違いを見分けてしまいます。だから、薬が効かなくなるのです。そこで、エイズウィルスが識別できないものを開発するわけです。
私は、水酸基を持つためエイズウィルスが見分けにくい薬の開発をめざしました。それには問題があり、私たちのDNAも同様に作られますから、この薬を取り込んでしまうと増殖できなくなり、毒になります。そこで毒性をいかにして低くするかが問題で10年以上この問題に取り組んでいます。マウスを使った毒性実験でデータを取りながら研究を続け、ようやくマウスが死なない抗エイズ薬を開発することができました。今後は、人間への影響はどうなのか、臨床試験の段階です。
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