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研究者には、自分自身が果たす歴史的使命を見つめて取り組む姿勢も大切。
――研究の内容について伺う前に、まず、長い間に亘って研究されてこられた「ヴェーダ」文献とは何か、ということからお尋ねします。
バラモン教の宗教テキスト 『ヴェーダ』は、古代インドの祭官たちが護り伝えた文献を伝承したものです。祭官階級の文献という性格から、祭式を内容としています。それらは、一連の祭礼用の詩句と行為とが必然的にもたらす結果の上に成果が総合的に構築される、という考え方を基礎にしています。そのメカニズムに対する信念のもとに、「祭り」というよりは一連のオペレーションとして構成されています。それは神の配慮にすがる祈りの営為ではなく、宇宙の理法(リタ)に関する知識に基づいた言葉の力によって、自然界・人間界を維持し操作するメカニズムと捉えられます。
最古の『リグヴェーダ』にすでに 、神々と祭主・祭官との間に厳しい取引、契約の観念があったことが 伺われます 。願望ではなく、意志や命令を表す動詞形を用いて、神々へ呼びかけるのが原則となっているのです。
――先生は、文法研究の領域の中でも、動詞の研究において世界でも比類のない研究者として定評を集めておられますね。
「古インド語文法」の出版は、19世紀末に古典学者J=ヴァッカーナーゲルによって始められ、1960年代に名詞の部分まで完成されたのですが、動詞編は大きな課題となって残されています。1960〜80年代にその研究の中心的位置におられた、エルランゲン大学の K= ホフマン教授の下で学んだことが、今日の私の研究の方向と質を決定づけました。
ホフマン教授の追悼記事の中では、先生と並んでインドアーリア語動詞研究の「三聖人」の一人に挙げられるという栄誉を得ることもできました。また、過去150年間の研究史の総括とも言える『古インドアーリア語語源辞典』において、私 Goto からの引用が約1000回に達しました。私自身は、動詞文法の仕事をホフマン教授から受け継ぎ、生涯の課題としています。『ヴェーダ』、サンスクリットの古インドアーリア語と、『アヴェスタ』、アケメネス朝碑文の古イラン語の文法に関しては、20年来最先端の研究水準を維持しているという自負があります。
―― 『ヴェーダ』、『アヴェスタ』そのものに関する研究は、どのような内容なのでしょうか。
文献学的研究としては、祭式を中心とした儀礼、宗教、思想史、生活実態などに関して掘り下げてきました。その一つの集大成として、精密な翻訳、研究、注記をまとめた『ヴェーダ散文資料集』の原稿を完成しましたので、近く刊行する予定です。
ヴェーダ祭式研究に関しては、新たな本格的な発展段階を迎えています。後進を育ててきた成果があらわれ、後進による研究や翻訳をまとめた本も刊行されてきました。私自身は、「業」と「輪廻」の成立史の解明に力を入れてきましたが、今、流布している一般的な見解とは違った知見が見えてきました。つまり、それらは『ヴェーダ』文献が死後に関して積み重ねてきた祭式議論の必然的帰結であるということが証明できる段階まで来ているのです。この方面の知見を後進の力を借りながらさらに深め、仏教研究においても根づかせて行きたいと願っています。
―― インド・ヨーロッパ語比較言語学について、お話をお聞かせください。
比較言語学は、語彙や音韻の比較研究の方法を確立して、ヨーロッパにおける主要な言語とインド亜大陸の言語などが、共通の祖語から歴史的に分化したものであることを明らかにしてきたわけです。その研究の最重要資料の一つが『リグヴェーダ』で、まとまった文献としては世界最古の文献の一つとも言えます。私自身も、インドイラン共通時代から祖語段階へ遡る検証を行い、逆にパーリ語などの中期インドアーリア語への展開を検証して、歴史的分析に取り組んでいます。
私が留学したドイツでは、有力出版4社が「世界諸宗教出版」という会社を設立し、2007年から数百冊にのぼる叢書の出版をスタートさせます。その第一巻として『リグヴェーダ』ドイツ語全訳が出版されるのですが、私はハーヴァード大学のヴィッツェル教授と共にこの事業を依託され、全体のほぼ半分を担います。
―― 日本では、そのような出版の大事業はなかなかありませんが、ドイツのスタンスと違うのでしょうか。
出版についてはいろいろな問題があり一概に語れませんが、研究に関しては歴史的使命ということを第一義にした取り組みが行われてきていますね。研究者は研究史の流れを頭に入れていて、その中で自分の研究成果はどの段階までを達成するか、目標を明確にしています。そして、次世代が次の段階を引き継ぎ、研究は連綿と受け継がれて解明への最終目標を目指すという考え方です。最近は、少し、この傾向が揺らぎつつあるのは残念です。数百冊の叢書出版もまた、この歴史的使命を果たす考え方の一環なのでしょう。
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