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猿橋賞受賞記念対談を掲載致しました

猿橋賞受賞記念対談

猿橋賞を受賞した梅津理恵准教授(右)、第25回受賞者の小谷元子材料科学高等研究所所長(左)

金属材料研究所附属新素材共同研究開発センターの梅津理恵准教授が、第39回猿橋賞を受賞されました。本学からは、第25回猿橋賞を受賞された理学研究科の小谷元子教授・材料科学高等研究所所長に続く二人目となります。それを記念して、お二人から研究にかける思いと後進へのアドバイスを話していただきました。(金属材料研究所 本多記念室にて)

*猿橋賞:一般財団法人「女性科学者に明るい未来をの会」(1980年創立)が主催する、 自然科学の分野で顕著な研究業績を収めた女性科学者1名に毎年贈られる賞。当初の基金を提供した元気象研究所地球化学研究部長猿橋勝子博士の名を冠している。

司会(渡辺政隆広報室特任教授):梅津先生、このたびは第39回猿橋賞受賞おめでとうございます。受賞の知らせを聞かれてどうでしたか。

梅津理恵准教授(以下、梅津):ありがとうございます。受賞はまったく予期していなかったのでびっくりしました。私の留守中、財団の会長から自宅に直接電話があったようなんですが、電話を受けた家族も何のことだかわからなくてあわててしまいました。発表の記者会見は4月15日だったのですが、あちこちで報道されたため、いろいろな方から連絡があり、大変な賞を受賞したんだなと、改めて実感しました。

司会:小谷先生のときはいかがでしたか。

小谷元子教授(以下、小谷):私は2005年なのでずいぶん昔になります。ちょうどアインシュタインが3つの記念碑的な論文を発表して「奇跡の年」と呼ばれている1905年から100年を記念した世界物理年のときでした。3つのうちの1つがブラウン運動の研究で、私も数学でブラウン運動のことを研究していたので、その年に受賞できたことがとてもうれしかったですね。

司会:やはり、いろいろな反響がありましたか。

小谷:そうですね。猿橋賞の趣旨は科学の分野での女性の活躍を推進するために、女性科学者のロールモデルとなる人を世間の人に知ってもらうことなのだから、遠慮せずにどんどん表に出てくださいと言われて、最初は困ってしまいました。それまでは数学のことしか知らない人間で、数学者以外とはほとんどお話をすることもなかったからです。まだご存命だった猿橋先生から直接、数学は地味ですからねと言われて覚悟を決めました。ここで私が頑張らないともう二度と数学にはあげないよと言われかねないと思い、なるべく積極的にいろいろな取材をお受けすることにしました。ただ、数学ですので、それまでのプレゼンテーションといえば黒板とチョークが大好きという世界ですし、プレゼンファイルとかプレス発表とかいうことも経験がなかったのでずいぶん苦労しました。抽象的な研究内容をわかってもらえるように、比喩として、CDのデジタル情報がなぜ滑らかな音楽として聞こえるのかと話したら、まさにそういう研究をしていると書かれちゃったりして。

司会:社会的な要請もいろいろあったのではないですか。

小谷:そうですね。猿橋賞を取ると雑用がたくさん降ってくるわよと、先輩の方からも言われました。役目として引き受けないといけないこともあるけれど、後進の方々のモデルとなる研究者として選ばれたのだから、まずは自分の研究を優先させなさい、自分の研究を犠牲にしない範囲で社会的な責任も引き受けるようにと。これはそのまま、私から梅津さんへの忠告でもあります。

司会:いかがですか、梅津先生、今の言葉を聞いて。

梅津准教授:ええ、記者会見のときもそうですし、米沢富美子先生のお別れの会でも猿橋賞を受賞された先生方にお会いしまして、次の受賞者がまた表に出て輝けるように、すべてを引き受けることはないけれど、できるだけ貢献してほしいというようなことは言われました。なので、覚悟はしています。

物理が好き、数学が好き

司会:小谷先生は数学、梅津先生は金属材料と、女性研究者の数が少ない科学分野のなかでもさらに少なそうな分野ですね。お二人がそもそもこの分野に進むことにしたきっかけは何だったのですか。

梅津:もちろん、理科好きということはありました。でも私の場合は、女子高から女子大に進んだので、女性しかいない、バイアスのない環境で伸び伸びとほんとうに好きなものを選んだ結果ということもあります。高校は、宮城県第二女子高等学校、現在の仙台二華高校でした。3年生のクラス分けでは、8クラス中、理系は2クラスくらいでした。物理を最後まで選択したのは数名程度でしたけれど、そこから進学したのが奈良女子大学の理学部物理学科で、もちろん全員が女性でした。

小谷:そのときいっしょだった方たちは、その後どうされているのですか。研究者になられているんですか。

梅津:ええ、企業の研究職に就いた人が多かったですね。大学院に進んだ人たちとは、今でも金属学会とか物理学会でお会いしたりします。少なくとも同じ研究室の先輩方とは、学会とか男女共同参画の委員会などでばったりお会いしたりします。

司会:もともとは物理だったんですね。

梅津:私は、修士課程のときは理学部の物理学科に在籍していました。その後、研究職のキャリアという面では短い中断を経て、博士課程の大学院に改めて進むことにしました。物理学は物性物理と素粒子や高エネルギーという二つの分野に大きく分けられます。私は、自分の研究室で試料を作ってその物性を測る物性物理の分野ならば自分のペースで研究できると思い、物性物理の分野を進んできました。その延長でいろいろな実用材料とか役に立つ材料を扱おうとなると工学部という分野があるなということで、東北大学の博士課程に進むときに、工学部の中では比較的基礎に近い研究を展開している材料物性学専攻に進んだのです。

司会:小谷先生はやっぱり数学がお好きだったということですか。

小谷:中学生の頃から数学が好きでした。研究者になると固く決意したことは一度もないですけれども、数学をしないで生きていくということはないなと思っていましたね。

梅津:理科じゃなくて数学だったんですね。

小谷:数学ですね、はい。高校で物理もすごく得意だったんですけど、それでも自分は数学だと思っていました。そのことに迷いはなかったと思います。これはいろいろなところで話しているんですけれども、東京大学の教養では1年時で物理実験も化学実験もあったんですよ。物理実験は1日の最後の2コマなので、延々と実験している学生が多かったんですよね。ところが私は、だいたいいつもすごく早く終わっていました。なので自分は実験が得意なんだと思っていたんだけど、今思うとそうじゃなかったんですよね。

司会:梅津先生、そういうものなんですか。

梅津:いや、頭が良かったから合理的に進められたんじゃないですかね。でも確かに、実験はああでもない、こうでもないということが多いですね。

小谷:何に注目するかというのは数学も同じで、重箱の隅をつつくだけの数学は深い数学とは言えません。重箱の隅なのか、深くておもしろい研究に発展するのかを察知してそれを追求できる人が優れた研究者なんです。私は、実験に関してそういうことを見極める感覚はなかったと思います。

梅津:材料研究でもそうですね。ただ掘り下げるだけではだめで、どういうところに重きを置くかを見極めないと。

小谷:何かおもしろいことが起こったときに、掘り下げる価値があるかどうかを適切に見極められることが実験研究者として大切なことなので、その点で梅津さんは恵まれた方なのではないかと思います。

司会:研究ではうまくいかないことのほうが多いのではないかと思うのですが、いかがですか。

梅津:こういう言い方がいいのかどうかわかりませんけれど、新しいことをしていれば実験事実としては新しいわけで、むだな実験というのはないことになります。なので、モチベーションの持ち方としては、失敗をしても、次はその失敗を活かせばいいわけです。失敗したことで気づくこともあります。記者会見などでは、「辛かったこと、苦しかったこと、大変だったことは何かありましたか」と聞かれます。記者の方は、苦労話を聞きたいのでしょうけれど、実際は苦労したとは思っていないんです。もしかしたらすごく地味な実験をしていたかもしれないし、失敗もしたかもしれませんけれど、それは必ず次に活かされることなので、苦労の連続だったとかとても大変だったとかいうことは、あまり覚えていませんし、そもそも大変とは思っていなかったのかもしれません。

司会:数学の研究でもそういう感じですか。

小谷:数学でも、思いつくアイデアの大半はだめなので、どうして私はこんなに頭が悪いんだろうと思う日々です。この歳になってまで自分は頭が悪いとか、なんでこんなにできないのだろうということに苦しめられる職業って、そんなにないだろうと思います。いつもうまくいくわけではないけれど、うまくいったときは強烈な喜びがあります。うまくいかなくても淡々とやっていて楽しいと思えるのは、それが好きということなんでしょうね。たとえば高くておいしいワインは誰が飲んでもおいしいけれど、ワイン好きな人は安いワインでも楽しめますよね。なので、研究で使う時間はあんまり...

司会:苦にならない?

小谷:苦にならないというか、楽しんでいます。

梅津:だから続けられているんですよね。

多様な価値観が柔軟性を生む

司会:梅津先生がおっしゃった記者みたいな質問になってしまいますが、女性研究者にはガラスの天井があると言われてきました。そういうことについてはどう思われますか。猿橋賞受賞記念なので、これは聞かないわけにいかないので。

梅津:どうですかね。好きな研究をしてきたので、女性だから苦労したということはあまり感じずにきました。ですけれど、海外の学会に行くと、日本とは明らかに違うということは感じます。日本では、会場の中に女性が私一人しかいないという状況もあたりまえのようにあるのですが、海外の学会では、食事をしても各テーブルに女性が複数いるし、女性どうしたくさん集まって話をしている光景に出会います。それを考えると、日本はやはり女性研究者が少ないと感じます。そのことは、日本にいる外国人研究者からも指摘され、「日本はなんでこうなんだ」とか聞かれます。数学の分野もそうでしょうし、私の金属材料の分野も女性研究者の数が極端に少ないですよね。なので、逆に、女性研究者の大変さがわからないみたいなところがあります。ライフサイエンス系はまだ女性が多いので、「やっぱりこういう苦労があるよね」みたいな話になると思うんですけど、こっちは、そもそもそういう話をする相手すらいないので、「女性ならではの大変さは何ですか」とか聞かれると、回答に苦しむところがあるんです。

小谷:日本の状況は異常ですよね。数学でも、国際会議とかで、「あれ、女性が急に増えたな」と思った時期があって、そこからすごく順調に増えていると思います。ライフ系と比べると人数は少ないけれど、圧倒的に増えてはいるんですよ。なので女性が数学の分野で少ないのはジェンダーの問題ではなくて、明らかに社会構造の問題だと思います。ある男性研究者が面白いことを言っていました。たとえばある研究所に就職しようとか、このプロジェクトに参加しようと思うとき、そこに女性がどれくらいいるかを見る。女性が多いところは多様性を受け入れる柔軟で自由な発想を重んじる傾向があるから。オリジナルで挑戦的な仕事はそういう環境じゃなきゃできないというのです。

司会:面白い視点ですね。

梅津:それ自体、進んだ考えですよね。

小谷:国際的には、特に先進国では、これまでのモデルではやっていけないという危機感が高まっています。この先も成長発展していくための条件は、多様な価値観をどれくらい受け入れられるか、いろいろな視点をどれくらい受け入れられるかにかかっているという認識に至っているのです。最近の若手は元気がないという意見を耳にしますけれど、若い人はすごく柔軟なアイデアをいっぱい持っているんですよね。問題はそれを活かせる場が準備されていないことなのでしょう。場さえ用意すれば生き生きと活躍してくれるはずです。奇抜なアイデアとまではいかなくても、異質なものを前向きに受け入れてくれる環境でなければ、やりがいのある研究とか仕事はできないと思います。そういうことと、職場やチームに女性がどれぐらいいるかということはすごくリンクしていると思いますね。日本ではそういう視点、認識がなかった。

梅津:すばらしいご意見です。あちこちで広めていただきたいです。

小谷:でもまずは、研究者を目指す若い人を増やさなきゃいけない。日本では特に、小中高の理科や数学は、ずいぶん型にはまっています。その中で生徒さんたちが、数学も含めた科学を職業にしようという発想は湧きにくいと思います。科学者のみなさんが研究者の道を選んだ理由は多様だと思います。そういう多様な動機や背景を知れば、研究者になりたいと思う生徒さんが増えると思うんですよね。猿橋賞を受賞した者の役目として、若い人に自分の研究の話をする機会を持つようにしてきました。これはもちろん、女性科学者に限った話ではないわけですけれども、科学の多様性と魅力を広めることは、大学で研究している人のお仕事の一つだと思っています。科学はとても価値のあるものだと思うので、たくさんの人に参加してほしいですし。そのためには、「研究は楽しい、こんなことがあるよ」というのを見せることだと思います。梅津さんにもぜひ、金属材料科学は面白いよということを、今までの人とは違う梅津さん独自の価値観からいろいろ話していただけるとうれしいと思います。そうすれば、女性に限らず、新しいことに挑戦したい人たちがもっと参加してくれるかもしれません。

梅津:そうですよね、私もどんどんアピールするというか、実践していきたいと思います。研究内容についても、わかりやすく話せるようになりたいと思っています。たとえば私の研究は大野総長が専門としているスピンエレクトニクス分野の材料にも関係する内容なのでそこを入り口にするのはいいのですが、「電子のスピンの向き」といった話になったあたりで、みなさん「うーん」という顔をなさる方が多くて。

小谷:そうかもしれないですね。それは研究者どうしでも同じで、たとえば数学でスピンというと、電子のスピンとは違う意味になっています。なので、研究分野が違うと話が咬み合わない。材料科学高等研究所みたいに異分野の研究者がフェイス・トゥー・フェイスで話せる環境を作る意味はそこなんですよね。

司会:若い人というお話がありましたけれど、最近の学生はいかがですか。日本では博士課程に進む学生が特に減っているようですが。

小谷:これもすごく異常な状況だと思います。他の国では博士課程の学生が増えているんですよ。資源のない日本では、科学技術なくして経済発展はないという考えから、科学技術にたくさんの投資をし、人材育成が重要とされているのに、日本だけ減っているというのは本当に異常な状況だと思います。

梅津:金属材料研究所でも、博士課程の外国人留学生はたくさんいるのに、日本人は少なくなってきています。ほかの分野でもそうなのですね。

小谷:私の周りにいる学生を見ても、数学がほんとうに好きで、24時間数学のことだけ考えて議論していればハッピーで、良いアイデアをたくさん持っているのに、全然就職できないですもんね。先輩のそういう状況を見て博士課程に行きたいと思うのは難しいですよね。

司会:数学には純粋数学だけじゃなくて応用数学もあるのに、数学科を出た学生は使えないという見方があるのでしょうか。

小谷:そういう見方をしているのも日本だけなんですよ。もうずいぶん前から純粋数学、応用数学という言い方をあまりしなくなっていて、数理科学という言い方をするようになっています。数学に限らず、いわゆる基礎研究と言われているものと社会実装までの距離が短くなっています。例えば物質科学でも、最先端の基礎研究がイノベーションを起こす例が増えていて、両方の距離がすごく短くなっていますよね。もう、応用数学、応用物理、応用化学をやらないと社会に出ていけないという時代じゃないんですよ。

司会:ジェンダーバイアスだけじゃなく、そういうことでも社会の見方、対応が追いついていないということなんですね。その点、工学系ではどうですか?

梅津:工学系では修士号取得の時点でたくさんの就職口があるので、修士課程には当然のように進みます。けれどやはり、博士課程には進まないですね。特に女子学生に関しては、今は会社が女子を採用したがるので、博士課程に進んで研究するということにはあまり魅力を感じないみたいです。最近は博士課程に進んでも会社は採用するようにはなっているんですけれど、アカデミックな世界に魅力を感じなくなってきているのでしょうね。一般的には、修士課程から博士課程に行くときはものすごく覚悟を持つ必要があるということは、学生に言わざるを得ないですし。でもそれを乗り越えなきゃ、まずは覚悟を持たなきゃ始まらないですよね。

司会:これもやはり社会の側の問題でしょうか。

小谷:キャリアパスにおいて年齢に基づいた紋切型なモデルで成長していた時代はとっくに終わっているんですけどね。もうそのやり方じゃ駄目なんです。

オリジナリティを追求できるゆったりした研究環境

司会:お二人とも東北大学で研究してこられて、東北大学の研究環境はいかがですか。

小谷:梅津さんのところは世界の金研ですからね。

梅津:もちろん、金属材料研究所の施設は充実していますし、材料研究に関しては本当にすごく良い環境です。私は修士課程までは地方の国立大学でしたので、限られた実験装置を使ってできるものしかテーマに選べませんでした。東北大学の博士課程に進むときに、そこ(東北大学)に行って成果を出せないわけがないよねと、恩師に釘を刺されたことを覚えています。ただし私は、敢えてここでしかできないような研究は選ばないようにしてきました。金研でしかできない研究テーマを選んでしまうと、もしかしてよそに出たときに使えないものになってしまうというような危機感があったからです。

小谷:もう東北大学は手放さないでしょう。

梅津:いえいえ。ポスドク(博士研究員)の頃は数年単位で契約期限が来ることを考えて、そういうことを思っていたのです。なので、いろんな材料を幅広く作るとか、変わったものを作るといった方向に自分の研究の興味とか展開を求めるようにはしてきました。その点、数学は場所を選ばず研究をできるのでしょうか。

小谷:それはありますけど、私は東北大学も仙台もすごく好きなんです。仙台って、時間がどこかしらゆったり流れているような気がしていたんですよね。東北大学も流行りものに振り回されることなく、自分の追求したいことをゆったりと追求することが許されるような雰囲気が今でもあると思っています。東北大に来たときにすごくそういう雰囲気を感じたんです。それは東京の大学ではなかなか難しいことだと思います。だからこそ、すごくオリジナリティの高い研究が東北大学でときどきポコッて生まれるのだろうなと思っています。それが東北大学の魅力ですね。仙台の街全体がゆったりとしていてアカデミックな雰囲気だし、文化的なこともしっかりありつつ、でもそれに振り回されずにゆったりできるということが、私にとっては東北大学と仙台のいちばん大きな魅力です。数学にとってはそれがいちばん大切なことなんです。

梅津:私にとっては、職場の近くに居を構えられることが、研究と家庭を両立する上でとてもありがたいことでした。家と職場との行き来がとても楽なんです。時間がゆったりと流れてゆったりした生活を送れるところとして、仙台はちょうどいい規模の都市なのかもしれませんね。

司会:東北大学としてそれをどんどんアピールしていくべきですね。

小谷:引用数トップ何パーセントに入る論文とかじゃなくて、研究者のオリジナリティを追求できるゆったりした環境ですよとね。

梅津:東北大学は卒業後伸びる学生を輩出しているというような企業アンケートの結果もありますしね。

本当の研究は博士課程から

司会:最近は、やりたいことが見つからないと言って自信を失っている学生も多いようですが。

小谷:学生って20代前半ですよね。大学院まで行っても25歳、26歳です。その歳でそんなに簡単にやりたいこと見つかるわけがないです。私の場合は中学生のときに大好きな数学に出ったのでラッキーだったとは思いますけれど、ふつうは早い段階でそんなに簡単に自分の生涯をかけたいことと出合うものではないんじゃないですか。

司会:数学の場合、数学の中のこの分野をやろうという決め手みたいなものはどこかであるわけですか。

小谷:私の研究分野は幾何なんですけど、そんなに深く考えて選んだわけじゃありません。指導教員を選ぶときに、それぞれの先生が「自分のところに来たらこの本をセミナーで読みます」という情報が提供され、その中から面白そうだと思って選んだのがたまたま幾何だっただけなんです。でも、後から考えると自分の性格には幾何がいちばん合っていたなと思います。それはラッキーだったという言い方もあるでしょうが、たぶんそうじゃなくて、どこに行っても面白いことは絶対にあって、そこで一生懸命頑張れば面白いものに絶対出合えるんじゃないかと思います。

梅津:そうですよね。

小谷:表面だけ触っていても面白いものなんて見つからないでしょう。それでうまくできたらうれしいかもしれないけれど、それを続ける気になれるかどうかは別。ちょっとやったらたいていは困難にぶち当たります。それで向いていないと思って諦めたら楽しいところにたどり着くことは絶対にできないですよね。困難を解決してこそ面白さが分かる。それこそ博士課程に行かなければ面白いものなんか見つからないんじゃないですかね。だから博士課程に進むことを勧めます。自分の発想でいろんなことをやれるようになるのは博士課程に入ってからなんですから。

梅津:実験の分野でも同じです。工学系は、博士課程を出ても企業に就職する口もあるので、もっと研究したいのなら博士課程に進むべきだと割と勧めるのですけど。それでも進学する学生は多くはないのが現状です。でも、やはり研究が本当に面白くなるのは博士課程になってからですよね。主体となって研究を進めて論文も自分で書くようになったりと、いろいろやる中で見えてくるのは。

小谷:受け身でやっていることって面白くないじゃないですか。自分から主体的に研究できるようになるのは博士課程からだと思うので、それをやってから好きか嫌いかを考えたらいいですよ。

司会:そのためにはまず、先輩の研究者たちがお手本を見せることでしょうか。梅津先生にはあまり雑用を押し付けないようにして。

小谷:梅津さんは東北大学の宝なので、先生でないとできないところでご尽力いただいて、研究をしっかり推進していただけるよう、東北大学だけじゃなく皆さんに配慮していただきたいと思いますよね。

司会:本日は貴重なお話ありがとうございました。

小谷:ありがとうございました。

梅津:ありがとうございました。

関連リンク

小谷元子材料科学高等研究所所長
梅津理恵准教授

問い合わせ先

東北大学総務企画部広報室
E-mail:koho*grp.tohoku.ac.jp(*を@に置き換えてください)

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