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平成27年9月東北大学学位記授与式

本日ここに、晴れて学士の学位を授与された37名の皆さん、修士の学位を授与された112名の皆さん、専門職の学位を授与された3名の皆さん、そして博士の学位を授与された144名の皆さん、おめでとうございます。東北大学を代表して、心よりお祝いを申し上げます。また、ここに至るまでの皆さんを支えてこられたご両親、ご家族、関係者の皆様にも、心よりお慶び申し上げます。

私たちに耐え難い別離と悲しみをもたらした東日本大震災から、早いもので四年半余の歳月が流れました。振り返れば、皆さんが学生生活を過ごした時期は、皆さんにとっても、東北大学にとっても、大震災に直面して衝撃を受け、あるいはその復旧・復興の途上で奮励努力を求められた時期でもありました。皆さんの中には、復興途上の本学への入学や進学を、家族に反対された方もいるかもしれません。また、プレハブなど不自由な施設で授業や研究に励まれた方もいるでしょう。そのような困難を乗り越えて今日の日を迎えられたことを、困難を共にした仲間として喜ぶとともに、心からの敬意を表したいと思います。皆さんのこれまでの努力や、本学で培われた教養や専門的な知識は、皆さん自身と一体のものとなり、今後の人生を生き抜く上で、大きな支え、財産になると信じています。皆さん、堂々と胸を張って新しい世界に飛び立ってください。

ただ、皆さんがこれからの活躍を期待されている世界は、大きく変化しようとしています。これまで不変と考えられていたことが、大きく変わるパラダイムシフトの時代を皆さんは生きねばなりません。本日は、それに対処する際に重要と私が考えている今日の二つの大きな課題について、お話をいたします。
 まず、パラダイムシフトの時代を生きる上で大切な考え方として、古代中国の思想家である孔子の「学而不思則罔(学びて思わざればすなわち罔(クラ)し)」と「思而不学則殆(思いて学ばざればすなわち殆(アヤウ)し)」を対にして、お話をしたいと思います。これは、孔子の言行録である『論語』の中にある、我が国では高校生でも知っている有名な言葉です。孔子は、紀元前500年頃の中国で学者集団を率いていた人です。その孔子が学ぶべき対象としていたのは、「六経」、つまり「易経」、「書経」、「詩経」、「春秋」、「礼記(ライキ) 」、「楽」を中心とした古代中国の知恵でした。もちろん皆さんが本学で学んだものは、「六経」ではありません。皆さんは、これまで築き上げられてきた高度な教養、専門的な知識、国際的な視野などの知の体系を探究し、その知識を修得してきました。ただ、これまでの歴史的産物を「学ぶ」という点では、現代も孔子の時代も基本的に同じです。
 「学びて思わざればすなわち罔(クラ)し」とは、学んでも自分の問題として考えない限り本当の知識にはならないことを意味し、「思いて学ばざればすなわち殆(アヤウ)し)」とは、たとえ自らの問題として捉えたとしても、さらに学ぶ、つまり多くの異なった考えを学ばないと、その人の行動は独善的で危ういという意味です。この2つを対にして私なりに解釈して言えば、大学で学んだものは、あくまで客観的な知識であり、知識の大切さは言うまでもありませんが、自分自身の問題として捉え考えない限り、その知識はお題目にとどまります。一方、皆さんが「これが問題だ」と主体的に捉えることで、その知識は問題を解くための強力な道具へと転化するとともに質も深まります。また、独善にならないように多くの意見、特に自分とは異なる意見にも積極的に耳を傾けること、むしろそのような意見があることを喜ぶことの重要さを述べています。
 これから皆さんがどのような道を進むにせよ、皆さんが新しい可能性を切り拓いていくために、皆さんがそれぞれに、「自分の問題として捉えなおすこと」と「独善にならないように、異なる意見を尊重すること」を大切にし、人類社会の課題に対処されることを切に願うものであります。

次に、私が現代社会の混乱を引き起こしていると考える課題を、2つ述べたいと思います。
 1つ目は、東日本大震災を通じて私が感じている「科学技術」への社会認識の問題です。
 人類は自然を克服することでより良き社会を作れると考え、科学技術の進歩を自明の善としてきました。そしてイングランドの哲学者フランシス・ベーコンが、1627年に『ニューアトランティス』と題するユートピア論の中で、人々が鳥のように空を飛び、電話を使って長距離の通信を行い、人間ほどの大きさの鶏が人々の空腹を満たしていると描写したように、「科学技術の進歩」イコール「幸福」という、進化論的で直線的な信仰を描き出してきました。確かに産業革命以降、科学技術は、それによる生活の質の向上を通じて、このベーコンの夢の実現に一翼を担うことになりました。そして、この夢の偉業を達成した科学者・技術者は、幸福の創造者として社会的に尊敬される存在となったのです。
 しかし今、東日本を襲った大地震、大津波、原発事故という戦後最大の複合災害を見るとき、また地球温暖化に起因すると思われる自然災害の狂暴化、パンデミックな感染症の多発を見るとき、社会は科学技術の逆襲によって、未知のリスクにさらされていることを痛感します。科学技術は、善(ユートピア)と悪(ディストピア)の双方を生み出しているのです。
 しかしながら、東日本大震災の大いなる悲劇・惨劇を経験した後でも、「科学技術の進歩」イコール「幸福」、つまり、役に立つ科学技術を早く創造せよと科学者・技術者を煽り、国際競争だから遅れるなと、科学技術の発展を競争力の問題のみに関わるものと捉える風潮があるように思えます。
 大学教育について深い造詣のあるジョン・スチュアート・ミルは、「人間はこの世界を自分が生まれた時よりも良いものにしてこの世を去りたい」という高貴な思いを持つべきだと述べ、科学技術を賢明かつ良心的に使用するか、悪用するかは、その人にどんな種類の精神を吹き込むかによって、つまり教育がいかなる種類の知性と良心を植えつけたかによって決定されると考え、教育の重要性を訴えました。
 真の復興とは平たく言えば、「より良き社会」を創造することであり、すべての出発点はそもそも私たちが目指すべき「より良き社会」とは何か、と問うことです。したがって、皆さん一人ひとりが現代社会をより良く理解し、自らの活動について価値判断することは、絶対に避けて通れないテーマであります。それ故に、現在の日本、そして地球社会の現状の在りように対して、皆さんはいつまでも沈黙していてはいけないのです。皆さんは、歴史の荒波の中で自らを鍛え、自らの未来を自ら決めねばなりません。本学の自由な校風は、そのような気概に満ちた卒業生を世の中に送り出していると自負しております。
 そして東北大学も、未来を切り拓くことを託された皆さんと一緒に、「より良き社会」を探求するワールドクラスの大学として確固たる地位を占めていく決意でおります。
 2つ目は、「グローバリゼーション」の問題です。
 1990年初めの東西冷戦体制解体以降、ボーダレスを標榜するグローバル化は、国家の境界を低くし、資本や商品、労働などの行き来を活発化させて、富の拡大を実現しました。しかし、それは同時に、市場の失敗の拡大、つまり南北格差、地域格差、環境破壊、災害・新感染症の増大、更には民族紛争などの社会問題を世界に拡散しました。
 この市場の失敗の拡大に対し、国連システムなどの場で協働・解決が試みられるものの、各国政府の特定利害の行動により十分機能しているとは思えません。グローバリゼーションは、物事の単一化志向により、時として特定の価値観の独善性を助長し、多様な価値観を排除する力が強く働きます。私たちは今、グローバリゼーションに流されて弱肉強食の世界で競争する道を指向するのか、それとも地球全体という大きな器の市民社会と協力して、平和と人権と社会的連帯の新たな発展の道を指向するのか、大きな転換期に立っています。
 先日テレビで観戦したラグビーワールドカップの南アフリカ対日本の試合は、グローバル社会におけるわが国の在りようについて考えさせられるものでした。我が国の代表31名中、日本以外の国で生まれた選手が、日本国籍取得者5名を含め10名いました。それぞれが国籍を越え、それぞれの特徴を生かすことで、世界の強豪に勝利することができました。多様なものが共通の目的に向かって結集したときの強さを実感した瞬間で、大きな感動を覚えました。
 あの試合を見ながら、グローバリゼーションの深化は、少なくとも世界の多様性(Diversity)の尊重を同時に追求するものでなければならないと確信しました。
 世界は、多様性の宝庫です。また世界は、変化の連続であり、複雑さと不透明さを常に内包しています。人も大学もその多様性と複雑な関係性の中で、むしろそれらを貴重なものとして生かし、自律的にそして創造的に、あらゆる難題を乗り越えていかなければなりません。

東北大学は、世界各国からの優秀な学生が学ぶ大学です。とりわけ外国人留学生の皆さんは、本国から離れたこの日本・東北大学という異文化空間で逞しく学究生活を送り、多様性を肯定的に受容する感性と、真のプロフェッショナルとして活躍するための素養を育むことができたと思います。と同時に、日本人学生にとっても、留学生の皆さんが開花させた大学コミュニティの多様性の実体験を通じて、他国を理解し尊重する態度を培う最良の環境を得ることができたと思います。様々な文化や価値観を持った学生が互いに認め合い、学び合えるキャンパス環境は、大学そのものの活力であり、ワールドクラスへ飛躍する原動力です。留学生の皆さんがもたらしてくれた大学コミュニティの多様性は、まさに宝物であると感謝しています。

本日は、31カ国、165名の外国人留学生の皆さんが学位を取得しました。留学生の皆さんには、日本を、そしてこの東北大学を第二のふるさととして、母国と日本、そして地球社会の発展に貢献していただきたいと思います。本日の学位記授与式には多くの留学生の皆さんが出席されていますので、最後に英語により送別の言葉を述べ、私からのお祝いの言葉としたいと思います。

Now, I would like to switch from Japanese to English, because many of you are international students. I would like to talk directly to you in English.

It is my great pleasure to attend this 2015 Tohoku University Autumn Commencement Ceremony together with the Academic and Executive Staff Members. I am delighted to express my sincere congratulations on your successful completion of your courses in the Undergraduate and Graduate schools.

Many intractable problems including the global environment, disaster risk, energy, low birth rates, and financial and employment issues challenge the world today. In an effort to negotiate solutions to such problems, the world is struggling to attain new growth through innovation in all areas.

Against this background, you will be expected to make use of your skills globally. I also ask that you to aim to become global leaders in new fields.

In this age of progressive globalization, it is imperative that you all acquire not only the basic skills and knowledge necessary to survive as global citizens, but also the ability to understand various cultures and the diversity of societies.

The diplomas conferred on you today certify that you have acquired both a degree of expertise and a broad perspective. They also certify your ability to address the important issues that confront our society.

To the graduates: I hope that you will continue to foster the alumni networks you have established at Tohoku University, further enhance the skills and knowledge you have acquired here, and venture decisively into addressing policy challenges around the world.

Finally, I sincerely hope that today will be the first step toward a successful future for each one of you.

本日は誠におめでとうございます。

平成27年9月25日

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東北大学総長

(於:百周年記念会館 川内萩ホール)  

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