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地域に残る歴史資料を活用した1804年象潟地震の実態解明 ~秋田県にかほ市象潟町関における被災と復興の研究~

【本学研究者情報】

〇災害科学国際研究所 災害文化アーカイブ研究分野 准教授 蝦名裕一
研究室ウェブサイト

【発表のポイント】

  • 歴史学・津波工学の連携により、秋田県にかほ市象潟(きさかた)町関に残る江戸時代の行政文書『関村伝来文書』を新たに読み解き、1804年象潟地震が、当時の由利郡関村に与えた詳細な被害・復興状況を明らかにした。
  • 計算方法によっては、関村において潰家率は80%以上、震度7相当となり、従来の推定震度より大きい可能性もあることが示された。一方で、津波は関村の集落部へ浸水しなかったと考えられる。
  • 地域に豊富に残る古文書を、文理連携により多角的に研究することで、日本の歴史地震のより詳しい実態が明らかになることが期待される。

【概要】

地震観測がなされていなかった過去に起きた地震(歴史地震)については、歴史資料を利用することで多くの情報が得られます。1804年7月10日に発生した象潟地震は、現在の秋田県本荘から山形県酒田にかけて甚大な被害をもたらしました。このたび、東北大学災害科学国際研究所の蝦名裕一准教授ら研究チームは、秋田県にかほ市象潟町関の地域コミュニティの協力を得て、江戸時代の行政文書『関村伝来文書』を、歴史学・津波工学の連携で新たに読み解き、関(当時は由利郡関村)における象潟地震の詳細な被害状況および復興状況を明らかにしました。

同文書を分析した結果、関村においては、「潰家」45軒、「大痛」15軒、「中痛」6軒、死者8名、死馬3頭であり、従来考えられていた震度より大きい可能性があります。また、関村集落部への津波の浸水はなかったとみられます。地震により恒久的に耕作不能となった場所があったことも示唆され、象潟地震の被害の甚大さが改めて確認されました。今後も、日本の地域社会に残る歴史資料の研究を、文理連携により多角的に研究することで、さらに歴史地震の諸相が明らかになることが期待されます。

本研究成果は、2021年7月30日に「歴史地震」誌に掲載されました。

関村における象潟地震の被害分布(3D)

詳細(プレスリリース本文)PDF

問い合わせ先

東北大学災害科学国際研究所
准教授 蝦名裕一
TEL: 022-752-2146
Eメール:ebin*irides.tohoku.ac.jp(*を@に置き換えてください)

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