2024年 | プレスリリース・研究成果
【TOHOKU University Researcher in Focus】Vol.028 総合知で探る地球環境の将来
本学の注目すべき研究者のこれまでの研究活動や最新の情報を紹介します。
東北大学・海洋研究開発機構
変動海洋エコシステム高等研究所 研究所長 須賀 利雄 教授
東北大学・海洋研究開発機構 変動海洋エコシステム高等研究所 研究所長 須賀 利雄(すが としお)教授
ここ数年、宮城県沖合でイセエビが採れるようになったと報道されています。イセエビは暖い海の生きものなので、もともとは宮城県沖で採れることはほとんどありませんでした。地球温暖化のせいなのでしょうか。
異変の原因は地球温暖化かもしれませんが、すべてを地球温暖化のせいだとして片づけられほど単純ではありません。地球温暖化が海の環境をどのように変え、それが生態系にどんな影響をもたらしているかについては、よくわかっていないことがたくさんあります。この状況を背景に、2023年、文部科学省の世界トップレベル研究拠点プログラム(WPI)に採択されて始動した東北大学・海洋研究開発機構変動海洋エコシステム高等研究所(WPI-AIMEC)は、地球温暖化やそれ以外の要因による海洋環境の変化が海洋生態系に影響を及ぼすメカニズムを解明し、海洋生態系の変化を予測することを目標にしています。
すべてはつながっている
イセエビの生息域が北上したことには、暖流である黒潮の流れが関係していそうです。黒潮は、東シナ海から北上して日本列島南岸に沿って東に向かい、房総半島沖に達しています。銚子沖から東に向かう流れは黒潮続流と呼ばれているのですが、過去30年ほどの間に、その黒潮続流が200 km以上も北上したという報告があります。さらに、昨年春から、黒潮続流は三陸沖にまで極端に北上しているのです。須賀さんによると、長期的な北上の原因としては、地球温暖化によって偏西風の軸が北上したことが関係している可能性が示されているものの、昨年からの極端な北上が地球温暖化と関係しているのかどうか、その原因はよくわかっておらず、研究課題の1つだそうです。
そもそも、黒潮はなぜ流れ続けているのでしょう。その問いを向けると、須賀さんが即座に解説してくださいました。
気象庁「海洋表層の循環の模式図」の一部を使用
日本が位置する北太平洋の上空には、中緯度の西から東に向かって吹く偏西風と、低緯度の東から西に向かって吹く偏東風(貿易風)が吹いています。しかしだからといって、海水が単純に風下に流れているわけではありません。地球の自転によって、北半球では風向きに対して直角右向きにはたらくコリオリの力が発生するからです。その結果、北太平洋では時計回りの大循環(亜熱帯循環)という海水の大きな流れが生じています。この大循環の中で、日本が位置する北太平洋西岸を北向きに流れているのが黒潮なのです。したがって、偏西風の吹き方が変われば黒潮も影響を受けることは容易に想像がつきます。
海の表面近くの流れは定常的に吹いている風とコリオリの力などで説明がつきます。しかし風が原因となる海流は、深さ数百メートルかせいぜい1000メートルほどまでしか及びません。風の影響を受けない深海には、深層循環という大きな流れがあります。たとえばグリーンランドの沖合で氷ができると、氷は塩を含まないため、塩が排出されて、その分、海水の塩分が高くなります。おまけに水温も低いことから、水深3000〜5000メートルという深層に潜り込んで深層水になり、それがアメリカ大陸東側を流れて南極まで達し、南極の周りをぐるぐるめぐりながら、やがてインド洋や太平洋にも流れ込んでいます。では、温暖化によってグリーンランド沖でできる氷が減ったり、グリーンランドの陸上の氷が溶け出したらどうなるでしょう。
グリーンランドの氷が溶けると、海水の塩分を薄めてしまい、冷えても深層まで沈み込まなくなります。実際、北太平洋は塩分が低いので、もともと深層水ができません。大西洋で深層水ができなくなると、北大西洋の北部に暖水を運ぶメキシコ湾流が弱まり、ヨーロッパが寒冷化するおそれがあります。そうなれば大問題です。
一方、表層と深層に挟まれた、水深およそ 150〜1000 メートルの、太陽の光がほとんど届かないトワイライトゾーンと呼ばれる深度帯は、水の循環面でも物質循環面でもあまりよくわかっていない領域でした。
海洋の生態系を下支えするエネルギー生産(一次生産)を担っているのは、光合成を行う植物プランクトンです。光合成が可能なのは、十分な量の日光が差し込む水深150メートルまでの表層です。光合成には、窒素、リン酸、ケイ素などの栄養塩も必要です。海中における一次生産の全体のおよそ半分を担っているのは、広大な面積を占める低緯度海域です。そこでの一次生産に必要な栄養塩としては、南大洋(南極大陸周辺の海)から流れ込んできている分が大半を占めていると長らく考えられてきました。南大洋では、栄養塩が豊富な深層の海水が表層へと運ばれ、それが表層で冷やされて重くなり中深層へと沈降しながら、 海洋循環に乗って低緯度海域へと運ばれていきます。つまり、海の一次生産の半分を担う低緯度海域(熱帯域)の中深層であるトワイライトゾーンには、南大洋の表層で使い切れなかった栄養塩が供給されており、それが表層に運ばれて光合成に使われていると、長く広く信じられていたのです。
2024年の8月、WPI-AIMECの主任研究員キース・ロジャース教授の国際共同研究チームが、その定説を覆す研究成果を「ネイチャー」誌に発表しました。低緯度海域の一次生産 を支える栄養塩の半分以上は、じつは同海域の「トワイライトゾーン」において、プランクトンの死骸や排泄物などの有機物がバクテリアによる分解によって再生され、再び表層に運ばれてきたものであることを、長年の海洋観測によって蓄積されたデータの解析とシミュレーションを駆使して示したのです。これは、海洋物理化学と海洋生態学を統合した、まさにWPI-AIMECが目指す分野融合研究の大きな成果の第一弾となりました。
AIMEC(Advanced Institute for Marine Ecosystem Change、エイメック)発想の原点
WPIブログラムは、「世界最高レベルの研究水準」「融合領域の創出」「国際的な研究環境の実現」「研究組織の改革」を掲げた研究プログラムです。須賀さんがAIMECを提案した背景には、自身のこれまでの体験があるといいます。
東北大学入学時は、大気の研究をしたいと漠然と考えていたそうです。ところが海洋物理学を学ぶうちに、海洋学では100年前と同じ手法で観測が行われていることを知り、そこに未開拓な分野の存在を認識して、チャレンジのしがいを感じたそうです。大学院生だった1980年代にはすでに地球温暖化が取りざたされてはいましたが、当時は、研究者の間でも、まだ切迫した危機感はなかったといいます。その時点では、事態がこれほど急速に進むとは、誰も予想していなかったのです。
異分野融合の重要さを実感することになった転機もあったそうです。2005年に実施した船上観測で得たデータを解析していたところ、水深数十メートルから100メートルの層で、クロロフィル(葉緑素)濃度と溶存酸素濃度が共に高くなるところがあることに気づいたそうです。それは、海洋生物地球化学の分野では表層の酸素極大、クロロフィル極大として知られている現象だったのですが、自身にとっては興味深い発見でした。そこで研究費を申請し、生物地球化学を専攻した博士研究員を雇用して研究を開始しました。その研究員からは、深いところにある栄養塩が表層に上がってくると、休眠していた多様なプランクトンが目覚めて大増殖(ブルーミング)が起こるのだという説明を聞いて、目からうろこの体験をしたそうです。この共同研究の体験から多くを学び、物理過程と生物地球化学過程の研究を関係付けることを今のように考えられるようになったといいます。
地球温暖化をめぐっては根強い懐疑論が未だに存在しています。それに対して科学者グループも手をこまねいているわけではありません。1988年に設立された気候変動に関する政府間パネル(IPCC)は、世界中の科学者が協力して、その時点での研究成果を基にした報告書を作成し、定期的に公表しています。それに関わっている科学者は毎回数千人を数えます。それなのに少数の懐疑論者の個別的な発言が取り上げられることが多いため、あたかも懐疑論の声の方が大きいかのような印象を与えているというのが、須賀さんの意見です。
須賀さん自身、2016〜19年に、IPCC第六次評価サイクルの海洋・雪氷圏特別報告書作成の代表執筆者を務めました。その際、数カ月に一度開催されていた執筆者会議で、メディアや市民とのサイエンスコミュニケーションに関するトレーニングを受けたそうです。それによって、それまでは自分の狭い専門分野の外のことについては発言を躊躇していましたが、認識を改めることができたといいます。市民やメディアから見れば、気候変動の専門家と見なされる立場にあるのだから、理解している範囲で真摯かつ積極的に発言するのが科学者の責務だと自覚したのだそうです。
こうした数々の体験を踏まえて提案したのがAIMECでした。異分野研究者が日常的に対話できる環境を用意し、観測、実験室での研究、理論構築、コンピュータモデリングを有機的に関連させることで、気候変動がもたらす環境変化に生態系がどう応答するか、そのメカニズムの解明と予測のための研究を、当面は北太平洋にシャープに焦点を当てて進めていき、そののちに国際連携を通じて、対象を世界の海に広げていくことが、大きな目標だそうです。
文責:広報室 特任教授(客員) 渡辺政隆
関連リンク
- 東北大学・海洋研究開発機構 変動海洋エコシステム高等研究所(WPI-AIMEC)ウェブサイト
- プレスリリース|海の表層へ栄養塩をもたらす「トワイライトゾーン」~海洋生態系の予測精度を向上しうる新知見~(2024年8月22日付)
- TOHOKU University Researcher in Focus ウェブページ
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