第9章
日本初女子学生・黒田チカ
新たな資料を公開へ

黒田チカ資料の公開

東北帝国大学において、日本で最初となる女性の大学生が誕生したのは1913年8月21日のこと、このとき入学を許可されたのは3名でした。丹下ウメ、牧田らく、そして黒田チカです。女子大生誕生110周年の節目となる2023年、東北大学史料館では、黒田チカの新資料を正式に公開することとなりました。
 黒田チカに関する資料は、黒田チカの生前、住まいがあった東京の駒込にありましたが、1968年に黒田チカが福岡で亡くなると、養子となった黒田𠮷男氏らによって、それらの資料群は福岡に移送され、永く保管されていくことになります。その後、ご子孫にあたる黒田光太郎氏を通じて、女子大生誕生100周年に当たる2013年、その大部分が東北大学史料館に寄贈されることとなり、合わせて2014年度からは黒田光太郎氏を代表とする科学研究費基盤研究(C)「黒田チカの生涯-最初の女子学生の教育、研究、人間、社会」が採択されると、東北大学史料館に移された資料の本格的な目録作成・整理作業が実施されることになります。この共同研究は2018年まで続けられ、その間2017年には「東北大学史料館 黒田チカ資料目録」がその成果として刊行されました。その後も詳細な目録の整備は段階的に進められ、目録と資料との照合点検作業を経て、2022年度末までに公開準備が整うことになります。
 2023年度に公開することになった、この黒田チカ資料は、黒田チカが如何に生き、どのような足跡を残し、社会はどのように変化していったのか、20世紀の女性研究者のあり方をたどる上で第一級の資料であるとともに、日本における最初の女性の大学生に関する最も大規模なコレクションとなります。

学生時代の黒田チカ

学生時代の
黒田チカ

黒田チカについて

黒田チカは、1884年、佐賀県の士族の家に生まれました。地元の佐賀師範学校女子部を卒業し、小学校の教師を務めた後に、上京、女子高等師範学校理科に進み、福井での教師経験を経て、東京女子高等師範学校の助教授に着任することになります。この時期、東京女子高等師範学校に講師として出講していた東京帝国大学の長井長義教授、第五代校長であった中川謙二郎らの勧めや理解もあって、1913年東北帝国大学を受験、日本で最初の女子大学生となります。このとき29歳、社会人となってからの大学挑戦でした。東北帝国大学では化学の眞島利行教授のもとで学び、1916年には日本で最初の女性での大学卒業生となり(当時の大学は3年制)、学士号を授与されます。卒業後は母校である東京女子高等師範学校に戻り教授職を務める傍ら、1921年からイギリスのオックスフォード大学に留学、1924年から理化学研究所の嘱託として紅花の色素研究に従事していくことになります。こうした研究の甲斐もあって、1929年には東北帝国大学から学位論文「紅花の色素カーサミンの構造」で理学博士を授与されることになりました。これは日本で二番目の女性の博士号取得であり、化学分野では日本初となる快挙でした。

東北大時代の恩師眞島利行

東北大時代の
恩師眞島利行

研究者時代の黒田チカ

研究者時代の
黒田チカ

その後も黒田チカはライフワークとして色素研究を進めていくこととなり、戦後は東京女子高等師範学校から新制大学となったお茶の水女子大学の教授職を担うことになります。こうした中、黒田チカは、タマネギの皮から得られるケルセチンに血圧降下の効果があることに着想を得、4件の特許を取得、1956年には日米薬品株式会社から血圧降下剤「ケルチンC」が発売されることになりました。

晩年の黒田チカ

晩年の黒田チカ

人々に愛された黒田チカ

1952年、お茶の水女子大学を退官後も日本婦人科学者の名誉会長を務めるなど、精力的に活動を続け、晩年は勲三等宝冠章を受賞、これらの功績はドラマ化され、1964年、NHKテレビこども劇場「たまねぎおばさん」として放送されるまでになりました。

黒田チカ資料の内容

東北大学史料館から公開される黒田チカ資料は、黒田チカの生涯にわたる資料群であり、幼少期から晩年まで、目録点数約4000点からなる膨大なものです。一番点数として多いのは、書簡等であり資料の約半数を占めます。恩師であった眞島利行との書簡や、黒田が関係していた多数の女性研究者とのやり取りが分かる貴重なものです。
 また通時的ではないものの、日記や実験の記録などのノート類、下書きの原稿草稿なども資料の中核をなすものになっています。また物品としては、黒田チカの研究に関する「うに類棘の成分の分析」「紅花の色素カーサミン」の標本や、黒田チカが愛用していた実験着、直筆の色紙や、小学校時代の修業証書から紫綬褒章受賞の記録など、黒田チカのバイオグラフィーに関わる資料が含まれています。
 アルバム5冊を中心に黒田チカの様々な年代の写真資料も残されており、約200点をデジタル化しています。興味深いものとしては、前述のドラマ「たまねぎおばさん」の台本であり、黒田チカが社会からどのように着目されている人物であったのかを知ることが出来る資料となっています。これら一連の資料は2013年にもその一部は東北大学史料館の企画展示で披露していましたが、2023年の周年企画展示でも大々的に展示されることになります。黒田チカ資料は現在我々がDEI「Diversity(ダイバーシティ、多様性)」「Equity(エクイティ、公平性)」「Inclusion(インクルージョン、包括性)」を考える上でも重要な資料であり、今後様々に利活用されていくことが期待されています。

紅花の色素カーサミン

紅花の色素カーサミン

ケルチン

ケルチン

ドラマ「たまねぎおばさん」台本

ドラマ
「たまねぎおばさん」台本

文責:東北大学史料館 加藤諭 准教授
参考文献『黒田チカ資料目録』